蒸気機関車は時間通り走れたのか
蒸気機関車について語られる際、「蒸機は遅れやすかった」「時間にルーズだった」という回想が語られることがあります。しかし、当時の国鉄の時刻表や運転制度を精査すると、SL牽引列車は少なくとも制度上、厳密な定時運行を前提として扱われていたことが分かります。もしSLが「時間通りに走ることを期待できない輸送機関」であったなら、緻密な全国規模のダイヤ構成自体が不可能だからです。
本稿では、感覚論や思い出話を排し、日本国有鉄道(国鉄)がSLの特性をどのようにダイヤへ組み込み、どのような前提条件を置いていたのかを、公式資料と時刻表の構造から解き明かします。
「定時運行」は前提だった
蒸気機関車の運行には、構造上避けられない前提条件がありました。給水・給炭・灰処理を伴う運用、炭質や天候による燃焼状態の変動、勾配区間での速度低下――
これらはすべて、例外ではなく常態でした。国鉄はこれらを例外的なトラブルとして扱うのではなく、あらかじめ「常態的な変動」としてダイヤの中に織り込みました。それが「余裕時分」という仕組みです。
余裕時分は、単なる遅延への言い訳ではありません。SLという方式が持つ宿命的な「揺らぎ」を吸収するための、制度的な緩衝帯(バッファ)でした。実際のダイヤを確認すると、列車種別や線区の条件に応じて、停車時間や走行時分に一定の「余白」が設けられていることが確認できます。これは「遅れてもよい」という容認ではなく、「遅れを表面化させない」ための高度な制度設計だったと言えるでしょう。
機関車キロが示す「運行の再現性」
ここで改めて確認しておきたいのが、蒸気機関車の機関車キロです。前回触れた通り、国鉄統計によれば、蒸気機関車の機関車キロは1956年度に約2億8,690万kmを記録し、戦後の最高値に達しています。
これほどの高密度な運用が維持されていた事実は、SLがその時点でも国鉄輸送の中核として、極めて計画的に管理されていたことを示しています。もしSLが「制度的に計算できない存在」であれば、これほどの運用密度を維持することは物理的に不可能です。国鉄は、SLがダイヤに組み込めるだけの十分な「再現性」を持つ輸送機関であることを、実運用を通じて証明していたのです。
「定時性」と「処理能力」は別の問題
ただし、ここで注意すべきなのは、定時性と処理能力は別の問題であるという点です。
蒸気機関車が引退に追い込まれたのは、決して「定時運行ができなかったから」ではありません。前述の通り、余裕時分を設ければ定時性は確保できました。
問題は、その定時性を維持するために払う代償にありました。余裕時分を設けるということは、線路という限られたリソースの中で設定できる列車本数を抑制することを意味します。
すなわち、列車を詰めて走らせることが構造的にできません。実際、蒸気機関車が主力であった時代のダイヤは、停車時分・走行時分ともに一定の余白を前提として組まれており、輸送需要の増大に応じてダイヤを圧縮して対応する余地が小さかったのです。
その結果、定時性は確保できても、大量の列車を次々と送り出す線区全体の処理能力という点において、蒸気機関車は電化・ディーゼル化に次第に太刀打ちできなくなっていきました。
国鉄が問題視したのは、「遅れるかどうか」ではなく、これ以上ダイヤを詰められるかどうかだったと言えるでしょう。